写真展 Light of Hopes ~every prayer’s stories〜

期間 2019年10月19日〜11月4日
会場 VEGAN BURGER NOURISH

「Light of Hopes」を単に訳せば「希望のひかり」になる。
そう、かなりベタである。
だが、このワードには、それぞれに意味を持たせている。

「Light 」
つまり「ひかり」はカメラにとって最も重要なもの。
カメラは一瞬の「ひかり」を受け取りフィルムに感光させる。また暗室においても、受け取った「ひかり」の情報を像にしたフィルムを、引き伸ばし機によって創られた「ひかり」の三原色の情報を透過させて、蒼い印画紙に感光させる。
必要なだけの「ひかり」の情報を吸収した蒼い印画紙を、褐色の発色現像液に流して真紅の漂白定着液に沈ませる。

奇跡のような工程を経て最後に「写真」になる。

「Hopes」は「希望」の複数形だ。
そこに「祈り」という意味を込めている。
「祈り」は私にとって写真の本質でもあり、潜在的なテーマになっている。
それは23歳の時のバイクによる交通事故の体験、それによって右上肢の機能の殆どを失った体験。大きく言えばこのふたつによって始まったと言っていい。

私は事故の瞬間、なすすべもなく自分の命が終わってしまうかもしれないという現実を突きつけられたとき、生まれてからすべての記憶が淡々としたドキュメンタリー映画のように蘇った。
結果、何一つ達成できていない未完成な自分であることを知らされて、「まだ死にたくない」という強烈な「生」への執着が凄まじい勢いで拡大する。藁にもしがみつく懸命さで祈る自分がいた。

「神様、どうか助けてください」

スローモーションのように感じていたが、実際はカメラのシャッター速度のような1/1000数秒という瞬間に発生した思考だったのではないかと思う。車のテールランプが眼前に迫った瞬間、視界が消えて、音の無い暗黒の世界になった。そして突き刺すような奇妙な金属音がして意識が飛んだ。
どれぐらい経ったのか分からないが、意識と視界が戻るとアルファルトの細かい粒状が接写のように正確に見えて、上の方から緊迫した人たちの声などの騒々しい気配が感じられた。全身が痺れて呼吸もまともにできていなかったが、どうやら生きているらしい。
私は声にならない声で訳のわからないことをうめいているようだったが、同時にまったく別の意識が存在して、さっきまで自分が必死で祈っていたことを冷静に認識していた。

思うに、このような潜在的な「祈り」は、太古の昔から在る人間の「本能」なのだと思う。

以後、右上肢の最低限の機能再建を試みる何度かの手術をしたが、右腕か使えない事実よりも頚椎で粉砕された神経の酷い痛みに対して身動き出来ずに耐えなければならない毎日が辛かった。
当時、痛みを緩和するべくあらゆる手段を試したが、何一つ効果はなく、永遠にこのままなのではないかという恐怖があった。今現在でもあれだけの痛みを経験したことはなく、1年半ぐらいはきちんと眠れたという記憶はない。ゆえに体重は50キロを切っていた。

まったく休まることのない拷問のような毎日に、殺してくれ、などと事故の瞬間とは真逆なこと叫びながらベッドの上でのたうち回っていた。だが、私は1年経てば今より絶対に楽になっているはずだ「hope=希望」、と必死でイメージすること「pray=祈り」を試みた。
今抱えている痛みを巨大な氷の塊に例えて、ゆっくり溶けて1年後には半分になっている、という強制的な妄想を続けた。さらに1年後にはその半分になっているというイメージ。乗り切った現在だから言えることだが、激しい痛みの渦中で、1年かけて氷の塊を溶かしてやる、という単純なイメージとモチベーションだけで人はなんとか生きていけるものだ。

およそ1年から1年半ぐらいまでほとんど睡眠は出来なかったと書いたが、正確に言えば、痛みを抱えていても、それを受け入れて憔悴した精神を少しだけ休めることができた唯一の時間帯が存在した。
それは朝の「Light=ひかり」を感じたときだ。闇からひかりが射し始めるとき、もがくほど苦しんでいても自然と精神が安らぎ僅かにでも寝ることができた。
夏ははやく、冬はおそくに訪れる。
冬を過ごしているときは、ただ夏が待ち遠しかった。午前4時半を過ぎれば朝の「Light=ひかり」を感じられるようになるからだ。夜の闇から「Light=ひかり」が差すのをひたすら待ちわびていた日々「pray=祈り」だった。ベッドの上で悶絶しているだけだったが、それが当時の私にとって唯一の「hope=希望」だった。

事故をして2年半後に社会復帰した私は、その1年後に駆け出しのボクサーたちと並走を始める。
不器用な彼らも同じく、極限で「pray=祈り」、勝利という「hope=希望」を抱いて、「Light=ひかり」が降り注ぐリングへ向かう。
ボクサーだけでなく、おそらく人は月と同様に「ひかり」受けて、「希望」を見出し、そして潜在的に「祈り」生きていくものだと思う。「ひかり」を受けて初めて存在できる写真の工程と同じように。

ボクサーを撮り始めた1997年から現在まで、私、仕事、ライフワーク、そして一期一会のそれぞれの人たちの、それぞれの立ち位置から生まれた祈るような想いと、その生き方。
私が出会い、感じてきたごく一部を写真と文章で。