(株)ジャパックス25周年記念誌(ドキュメントブック)

(株)ジャパックス25周年記念誌制作終了しました。

 記念誌とはいえ取り組み方はいつもと同じで、それを許して頂いて自由に取材できる環境を頂いたことに本当に感謝しております。また、制作に関しての大枠な方向性は話し合っていても、細かい指示は全くと言っていいほどありませんでした。「基本お任せします」というスタンスは、取材を進めていく中で理解できるようになります。現実的に記念誌を制作する会社はいくらでもありますが、それを踏まえて自分に依頼して頂いた執行役員本部長の蛯名さんの気概にあらためて感謝しております。

ジャパックスはポリ袋(ゴミ袋)製造業として日本のシェアNO1を誇る企業です。1998年に8畳程度のマンションの一室で起業して、現在は250億に迫る売り上げを記録し、さらに売り上げを延ばしています。1枚数円程度のゴミ袋。ジャパックスの品質の良さは他社には例を見ない検品制度によって保たれてますが、それは「当たり前」に埋め込まれているもの。その意味で見た目では他社と大きな差はない。では、何故ジャパックスが僅か25年で業界No1として存在するようになったのか。それも、他社と大きな差を生んでいるのは何故か。創業者、大木敏夫氏の理念は海外サプライヤーの心を動かし、愚直な営業で日本全国の町工場や問屋の信頼を獲得して、その流れから大手小売店も呼応していくことになります。独り勝ちするのではなく、共に手を取って一緒に成長していくという理念。そして2代目の社長となった大木武司氏は、創業当時から父の背中を観ながらゴミ袋製造業の現場に入って職人の熱量を体感し、またジャパックスの営業の現場で全国を巡って、日本の根幹を支える中小企業に寄り添ってきました。それらの経験から、コロナ禍の供給不足に対して業界で真っ先に対応する手腕を見せます。営業、品質管理、調達、受渡の格部署の情報共有から絶妙な連携を保って、独自の物流網から最速で商品を届ける。それを可能にする個々の能力の高さと責任感。

ジャパックスが起業したのは日本経済が衰退していく1990年代です。大木敏夫氏は安全な場所で生きていくことも可能でしたが、敢えてリスクを負って起業した。ジャパックスは斬新なアイデアを構築して成長したのではなく、普遍的な取り組みを愚直に貫くことで成長していきます。創業者、大木敏夫氏の理念から、様々な危機を乗り越えて2代目の大木武司氏に引き継がれるまでの描写を、大木武司氏の言葉で構成しながら創成期のメンバー、ジャパックスの未来を背負う新たな役員、各部署の最前線で奔走する社員たちの取り組み方まで。A4サイズ128ページでようやく完成します。(非売品です)執拗な取材を受け入れて頂いた大木敏夫会長、大木武司社長、他多くの役員や社員の方々、そして、通常業務でさえ超多忙でありながら、取材にあたり多くのサポートをして頂いた執行役員本部長の蛯名さん、本当にありがとうございました。

 しばらくの浮世離れの生活と編集の最後でインフルになってずっこけてしまったワタクシは、多くの方々に「2月になってから~」を積み重ねてしまいました。しばし休憩してから、粛々とお約束など果たしていきたく思いますので、何卒お待ちくださいませ。