士魂商才 しのざき総研

  年末から正月返上(1日だけ正月しましたが)で書き上げて「士魂商才 しのざき総研」入稿を終えてようやく仕上がります。

 スタジオ撮影しながらのインタビューで次から次へと言葉が出てくる。スタジオは撮る人間のフィールドだから私が誘導していくものですが、篠崎さんに限ってそれはない。ただ座っているだけ、問いかけに答えているだけですが、カメラを前にしても少しもブレない。こう撮られたい、とかもない。例えは悪いのですが修羅場を潜ってきた人間が持つ「狂気」とでもいえばいいのでしょうか。本人の意識にない、ある種の貫禄が漂っている。

私は最初の言葉に衝撃を受けました。

「お金の流れは美しくなければならない。企業の誠実さを表現するもの。だから決算書はアートなんです」

「論語と算盤。論語とは経営理念、算盤というのが簿記会計。ただ単に熱い想いだけで商売やっもて絶対成功はしない。「士魂商才」は奥深いんですよ」

「みんな変わりたいと思っているんですよ。だけど、頭の中にこびりついている垢が落ちないんでしょうね。ネジが錆び付いている状態なんで、いきなり自分でいじろうとすると折れちゃうんですよ。既得権益がなくなるのが怖くて、動きたいけど、動けない。だけど動かないといけない。じゃあどうしたらいい?お前、助けてくれよ。こんな感じですかね」

「余命宣告しなきゃならないこともあります。ホスピスと同じで最善の緩和ケアをする。その結果、奇跡が起こるかもしれない。けど、その可能性は殆どないということを伝えなければならない」

「明治時代と現代はよく似ている。ただ、大きな違いはまだ次世代の人たちが出てきていないことですよ。吉田松陰、勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛、高杉晋作。あの時代は多くの血が流れた。現代はこれからですよ。江戸から明治の時代だって、まさか徳川幕府が倒れるなんて誰も思っていなかったですよね。その結果、武士の特権が失われた。仕方ないこともある。その時代の時々に、誰かが犠牲を払わなければならないから」

「言われるがままの取引の結果、貸し渋り、貸し剥がしされて苦しむ経営者の姿はもう見たくない。革命を起こすために動いてるけど、まだ、理解できる人が少ない。縦展開で存在する流れを横展開にすること。縦っていうのは銀行、生保、損保、証券、各々が既得権益があって、掛け算じゃないけど壁を崩すようなカタチでクロスで売り上げを上げていくことをやっている。横展開っていうのはラテラルシンキング。ラテラルシンキングで行くのであれば、土台がしっかりしていないといけない。土台とは財務。財務の土台とは簿記会計なんですよ。そこに理念があって初めて中小企業は生きていけるんです。「士魂商才」がないとバランスの取れた経営はできない」

「コンサルって聞こえはいいかもしれないですが、わたしがやっていることはナイチンゲールと一緒。泣き叫んでいようが、目ん玉飛び出していようが、銃弾が飛び交う中で止血する。どうあっても助けなければならない。そう、経済の生き死には本当に恐ろしい。生きたまま死ぬってこと。だから腹割ってやってますよ。とにかく無我夢中。限界なんてないって思って仕事してましたから。気狂いでしょ。自分の役割に殉じる?そうなんでしょうね。大変だなんて思ったら、とっくに死んでると思いますよ」

「立ち食い蕎麦屋は私の原点。窮地に追い込まれた時の想いは絶対に忘れてはいけない。もしまた窮地に遭遇したとしても私は絶対に負けませんよ。また立ち食いそば喰えばいいんだろって」

「第六感で仕事してるようなものですよ」

 ついていくのが不可能なくらい凄まじいバイタリティで日本中を駆け巡っている。その状況で少しだけ並走させていただきました。篠崎さんは表向きにはあれこれと表現していらっしゃいますが、奥底の本心にはまったく我欲がない。私はたくさんの人間を観てきたけれど、どうしても分からなかった。これだけ激しく動いて活動している篠崎さんの欲のなさに、だ。分かっているのは、混迷した現代に最も必要とされている人間のひとりとして存在しているということ。何度もインタビューの言葉を掘り起こしていくうちに、そうか、この人は働いているんじゃない、闘っているのだということをようやく理解しました。「士魂商才」という気高い精神を企業に根付かせて日本を再生させるために闘っているのだ、と。そして奥底にある本質を知ったとき、震えました。

ー武士の精神と商人の才を兼ね備えることー

「士魂商才」とは明治の偉人、渋沢栄一の言葉ですが、そのまま篠崎さんに当てはまる言葉でもあります。取材をしていく中で、タイトルはこれしかないと思いました。渋沢栄一の遺志を受け継ぐ。篠崎さんの場合、意識的ではなく結果的になのです。「士魂商才」という理念が潜在的に篠崎さんを突き動かしているのは間違いないのですが、実はそれがすべてではない。いや、恐れずに言えば、ごく一部でしかない。

「私は絶対に負けない。絶対に屈しない。やると決めたら必ずやる」

 と篠崎さんは自身に言い聞かせるように呟くことがある。

 幼い頃から何度も言い聞かされきた亡き父の言葉。常識を逸脱して勉学励んだ学生の頃。学歴社会に牙を剥いて結果を叩き出したBANKER時代。絶体絶命の窮地に落とされても事業再生の最前線で奮闘した日々。この言葉はどんなときでも篠崎さんと共に在りました。

「絶対に負けるな。屈するな。やると決めたら徹底してやり抜け」

 篠崎さんは父の葬儀の時、人目もはばからず慟哭していたという。張り裂ける思いで「遺志」を貫くことを誓っていたに違いない。切なくなるほど「遺志」に忠実であること。篠崎さんにとってそれが唯一の「欲」なのかもしれない。明治の志士たちもそうですが、一途な狂気が時代を救っていくのもなのでしょう。映画になるような生き方。心底、凄いと思いました。